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すこし気持ちを吐き出させてください。 不安で息がつまりそう。 2007年、29歳で結婚して転居。 ずっと精神不安定です。
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大丈夫って思っても、ちょっとしたことで崩れてしまう。
疲れた・・・もう、頑張るの疲れた・・・。
頑張ってるねって、誰かに励ましてもらいたいよ・・・。
優しくされたい。

「きみは能力も努力も足りないし、頑張っても結果出てないから無意味」

じゃあ、私はもう、努力する必要はないの?
努力してもムダなのだったら、すべて投げ出してラクになりたい。

粉々になった自尊心が、そのあたりに散らばって光ってるね。
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今年の梅雨は長すぎる・・・。
雨の日は憂鬱感が強くてツライ・・・。
梅雨なんて毎年のことだし、なんとなく一ヶ月が過ぎて「あー。夏だー」って思えば、それほど苦痛な期間でもなかったはずだけど・・・。

今年は本当につらい。

先週は特にひどかった。
仕事をしていても、憂鬱感ばかりが襲ってくる。
いやなことや、つらい想像が頭をグルグル。
午後二時を過ぎると、調子悪いときに決まって起こる「胸のしめつけ感」と「息苦しさ」。
トイレに行って深呼吸し、どうにかやりすごしたけど、そんなときに限って残業が入って超ツライ。
精神的にギリギリだった。

家ではかろうじて料理と洗濯はこなしていたけど、夕食が済むとすぐ横になった。
旦那さんがいるときに、横になるのは本意ではないけど、シンドくて限界だった。
旦那さんは隣の居間でNHKBSでやってるガン○ム特集番組を見てた。
ガン○ムの音が、すごくうるさく感じられた・・・。

長雨のせい・・・もあると思う。
はやく梅雨があけてほしい。
仕事中に息苦しくなるのは、ホントにツライ・・・。

週末は友達の家に集まった。
友達は既婚で、料理上手で手芸が得意な専業主婦。

レース編みのコースターに、いれたてのコーヒー。
手作りのパンやケーキ。
妊娠のための雑誌が本棚にさしてあって、
「はやく子供が欲しい」
と微笑む。

帰宅した私は、凹んですっかり調子を崩してしまった。
なんで・・・私は、こんな私なんだろう・・・。

せめて、人並みになろうと心を殺して努力できた、
数年前の状態に戻せたら・・・。

もう、気持ちを押し殺すだけの気力が残っていない。
感情のままに凹んで、動けなくなってしまう。

メールが来ていた。
同じ本に文章が掲載されている、モノ書き仲間からだった。
それを読んで、私はたじろぐ。

彼女は大学院を出ていて、育ちが良さそうで・・・。
周囲にモノを書くことを認められていて・・・。

なんの環境もない私。
雑草のように自分で育って、独学で勉強して書く私。
書かなければ生きていけないと思う一方、どこか恥じてもいる。

「私なんか・・・人前で文章を書けるほどの能力も環境も才能もないのに・・・!」

だって、誰もほめてくれない。
私が勝手に書いているだけ。私の周囲は、私が「書く」ことに対して、沈黙沈黙沈黙。
その沈黙が、私は「本来、書くべきステイタスの人間じゃない」ということを教えてくれる。

母は私が夜中までワープロに向かって何か書いているを嫌っていた。
「何をやってるのよッ!カタカタカタカタ夜中までキーボード叩いてッ!」
と、よく怒鳴り込まれた。
ダンナさんは、「頭の悪い文系少女が、なんか書きたがってる」ぐらいに思っていたようだ。
ダンナさんの進学校時代の友人は、モノ書きを目指していたわけでもないのに、
会社をやめて突然、ミュージシャン兼文筆業になった。
アッサリと夢を叶えるエリートを見ているダンナさんにしてみれば、
私が何かを目指しているなんて、「お笑いぐさ」だよね。

非難が胸に刺さる・・・。

私は勝手に書いている。
分不相応な場所で、分不相応なことを。

パンを作ったり、レースを編んだりできたら、私はもっと価値のある女性だった??
ダンナさんに聞いても、微妙な返事が返ってくるだけ。

ひと部屋を埋め尽くす、本の山を見るのが、時々苦しい。
文筆業につくんだ、と志と夢を抱いて努力した跡・・・まるで夢の廃墟だね。
 

学校時代の教室でのポジションが、けっきょく一生の「社会」においてのポジションなんだなぁ、と大人になって思う。

私は、教室の隅で、ひとりでじーっと本を読んでいるだけの存在だった。
たぶん、クラスの誰も、卒業アルバムを見ても、私のことなど思い出さないだろう。
成績は中の下、運動ダメ、不器用で取り柄のない、地味な地味な女の子。

忘れられないのは、ある運動会。
クラス対抗大縄飛びの時、私はメンバーからはずされた・・・。
クラス対抗だから、基本的には全員でやる競技のはずだ。
いちおう、メンバー登録制になっているのは、喘息だとかケガだとか、事情があって出られない生徒のためであったと思われる。

しかし、メンバー登録からはずれたのは、喘息もケガもない、私ともうひとり「地味系男子」の計2人だ。
「ヘタなヤツは、足引っ張るからハズしておこーぜー!」
という声を、私は確かに聞いた。
メンバー表に、私の名前はなかった。
以後おこなわれた、放課後のクラス練習も、もちろん私はカンケーない。
みんなが賑やかに練習しているのを、低いテンションの穏やかさで見ていたと思う。

そう。いつでも、どこでも、どんな時も、私は真ん中にカンケーない。

組織にはずっと縁がなかった。
家族のなかでは、母に性格を嫌われて空気のように扱われたし、仕事は非正規が多く、やっぱり空気と同じだった。
積極的に関わることなど、どこでも期待されなかったね。

「分(ぶん)」を・・・わきまえないと。

どこに行っても、私は壁か家具と同じだった。
両親、上司、彼氏・・・誰も誰も、およそ私の「気持ち」を慮ってくれたことがない。
だって私は、壁や家具と同じだもの。
人形ですらない。見た目が美しくないから。観賞用になんかなれない。

いまのダンナさん・・・当時の彼氏は、私に向けてはズバズバと底意地の悪いことを言ってのけ、ユウちゃんにはタイヘンだねとか苦労してるねとか、彼女の人格を尊重した会話を向けていた。
けっきょく、私には人格など認めていなかったからじゃないの。
私ならいいよね、傷つけたって。
安っぽい材料でつくられた家具だものね。
両親からだって、大切に扱われなかった、安物の家具。

家族に大切にされた女の子は、社会でもやっぱり大切にされる。
「きちんと」した子だから。
そういう子はきちんと扱われる。

私は・・・。

 ***

ダンナさんは、生徒会長や学級委員をずっとやってきたタイプ。
ひょうきんで、勉強ができて、県内有数の進学校の出身だ。
それでいてガリ勉からはホド遠い。

結婚してダンナさんのアルバムを見て、ショックだった。
学芸会や、クラス会。学校や地域イベントで演劇をやる場合、彼は当たり前のように主役だ。写真のド真ん中に写っている。

私は「町の人」とか、そんなのしかやったことなかったし、主役はひとりで端役は大勢なんだから、端役が「ふつう」だと思ってた。
彼は言う。

「そういや僕、ふつうに主役だったな。なんでも」

彼の修学旅行の写真は、華やかに女の子たちに囲まれてピース。
ダンナさんはこともなげに。

「そうそう。この子はやたら僕にくっついてきてさ。思えば、僕のこと好きだったかもしれないなあ」

知らない。そんな世界知らない。学校ってそんなところなの?
私は混乱してしまう。
そういうのって、ドラマや漫画が描く、ウソの世界なんじゃないの?

優等生と、窓際の地味少女の恋。
そんなストーリーは、知らない。
クラスの真ん中にいる優等生は、勉強ができる優秀な女の子とか、要領のいい可愛らしい女の子と結婚するんじゃないの??

私の「分」に不相応・・・なんだ。

彼がなぜ私を選んだのか・・・。
それこそが、彼の唯一の欠陥なのだろう。

女の子を人間として扱い、きちんと敬意を払うのが、彼には面倒くさいのだ。
自分が圧倒的に優越しているほうが、性分に合うということ。

ちゃんとした女の子には、相応の敬意を払わなきゃいけないもんね。
誕生日もクリスマスもホワイトデーも無視して、
「ふん。なんで女の機嫌を取らなきゃいけないんだ」
なんて、居直れないもんね。

家具のような地味な私なら、どう扱ったっていい。

でも、もう限界だった。
疲れた・・・。心を無視され、いいように扱われるのには、もう疲れたよ・・・。

私だって、大事にされてみたかった。
プレゼントに指輪を選んで欲しかったよ・・・。

疲れたり、凹んだりしているときには、「大丈夫?」って優しく慰めてもらいたかったよ・・・。

家庭内にうち捨てられた、安っぽい家具の私。
結婚して、押さえ込んでいたものが爆発し、発狂したことで、私はやっと「やさしく」してもらえるようになった。

けど、それって本当は分不相応なのかもしれない。
大事に育てられなかった私。
そんな価値のない私。

やさしくされるのは嬉しいけど・・・いいのかしらと不安にもなる。

結婚して、「過呼吸」という超具体的な症状が現れたとき、はじめは「結婚して環境が変わったからかな?」と思った。
がんばって料理して洗濯して、ちゃんと仕事に行って、ダンナさんが帰ってこなくてもワガママを言わず・・・。
ダンナさんは、昔からそうしているように、そんな私を軽い調子であざけった。

「きみは、料理もやったことない、おじょーさまだもんねー」
「そんな仕事、ヤメればいいじゃん」
「図太いからうらやましい」

そして、後輩のユウちゃんを引き合いに出す。

「僕とかユウちゃんはさぁ、繊細だからさー」
「優秀なユウちゃんは、しっかり仕事をして」
「優秀ゆえの苦労、ユウちゃんとはわかり合えるな」

・・・じゃあ、ユウちゃんと結婚すればー!?と思うじゃないですか。
「ユウちゃん」は私よりひとつ下で、アパレルに就職したもののウツ病のような状態になってあっという間に仕事をやめて、アルバイトで充電したのち、親の紹介(コネクション)で貿易会社の総合職に再就職した。
いまはエリート商社マンと結婚して海外暮らし。

その「ユウちゃん」が、最初のアパレルの仕事を挫折したころ、ダンナさんは私と既につきあっていたが、
断然「ユウちゃん」の味方だった。

「ユウちゃんはかわいそうだ!あの会社の服は、ぼくももう買わないことにする!」

と、ユウちゃんを擁護し、味方する発言を私に向かって重ねた。
同じころ、私も仕事でさんざん苦労していたが、ダンナさんは意に介さなかった。
なぜなのか・・・彼がハッキリ理由を口にしたことはないが、私はわかっているつもりだ。

私は、ダンナさんにとって「格下」の女で、能力不足と努力不足に同情の余地はない、とダンナさんは思っているのだ。

ユウちゃんは、能力もあって努力もしている。だから、苦労するとかわいそう。
でも彼女である私は・・・「まあ、おまえじゃ、苦労しても当然だ」
というのが、どこかにあったのだろう。

それでも、仕方ないかなと思っていたのだ。
たしかにユウちゃんは、気がきいて可愛くて、学業も仕事も優秀。

家に帰れば両親が、

「正社員と派遣や契約では、生涯賃金が4倍違うんですってねーえ!」

と、矢のようにイヤミを浴びせ、契約社員なりに現場のリーダーになって、
一ヶ月で体重が五キロ落ちて、頭痛を抱えて出勤している娘に、
「新しい仕事はどう?」
とか、
「大変なのね」
とか、優しい言葉など望むべくもない。

かといってダンナさん(当時は彼氏)に会っても、なぐさめられるどころか、
「そんな不利な仕事をしている自分が悪いんじゃん」
「愚痴なんか聞きたくないから」
と、ニベもない。

結婚して、精神的に調子を崩して、通勤が近い派遣の仕事に変わることを検討しはじめたとき、
ダンナさんがしきりに「そんな仕事やめろやめろ、変わればいいじゃん仕事」を口にするのを聞いて・・・私の中で何かが切れた。

当時、契約社員だったが、ランクアップできそうな雰囲気だったのだ。
粘っていれば、正社員登用もあるかもしれなかった。

私は泣き叫んだ。

「私が・・・私が契約の仕事だから、たかが契約社員の仕事だから、そんなのヤメちゃえって思うの!?」
「ユウちゃんみたいな、エリートのお仕事だったら、もっとガンバレって応援してくれたり、励ましてくれたの!?」
「正社員してて、ステイタスのある子だったら、結納も結婚式も、もっとちゃんとしたかもって・・・前に言ってたもんね!」

ずーーっとガマンしていた言葉だった。
私なりに・・・努力してきたのに・・・。
「ハケン」「契約」ただその言葉だけで、すべてが否定されてしまう。
ハケンの現場で認められて、最年少でリーダーになって・・・私がどれだけ何と闘ってきたか、
何も知らないくせに・・・!!

ユウちゃんの仕事は確かに立派だけど、親のコネで手に入れた地位。
コネでも入社してしまえば、「責任ある社会人」。
必死で自分の力で、派遣の現場からはい上がっても、契約社員なら「バイトと一緒でしょ。気楽でいいね」。

ダンナさんの親戚に、ライターをやっている人がいる。
その女性は、配偶者の転勤で海外住まいをし、その体験を発表することでライターになった。

私がいま、表で少しだけモノを書く機会を得たのは、自分でお金をつっこんで、
自分で育てた能力で、それが認められることで得たポジションなのだ。

けれども、当初のダンナさんの評価は、
「ライターしてるMさんは、さすがだなあ。あそこは夫婦そろって優秀だ」。

私がドコに何を書こうが、「頭が悪いのに、難しそうなこと書きたがるんだね」。

私は、ほとんどを自分自身の力で手に入れてきたのに・・・。
たとえそれが、本当にささやかな成果だとしても。

家族もダンナさんも、私を決して褒めたり評価することはない・・・。

結婚前に訊ねたことがあった。
「あのさ。恋人や結婚って、唯一絶対の味方を作ることのように思ってたんだけど・・・ダンナさんは違うよね?
ユウちゃんの味方はするけど、私の味方はしないよね」
ダンナさんは、「何を言ってるんだろう」「面倒くさいこと言うなあ」という顔をしていた。
答はたしか、もらっていない。
「結婚するんだし、いいじゃん。ガタガタ言うなよ」
という空気で、食事していたレストランをあとにしたと思う。

ほめて欲しい・・・という気持ちに気づいたのは最近だ。
私を蔑み続けた、彼氏と両親。
能力も努力も足りない、と言われる私。

でも、私程度の能力や稼ぎやポジションでも、褒められている人はいる・・・。

ユウちゃんと僕は繊細。
ユウちゃんと僕は優秀。
ユウちゃんと僕は努力家。
ユウちゃんと僕は有能。

うちの娘は役立たず。
うちの娘は生意気。
うちの娘は親に迷惑かけてばかり。
うちの娘は「一流」にならなかった!

進学、就職を通じて、私はついに一度も、誰からも
「よかったね」
と言われたことがない。

ほめられないのなら・・・せめて同情して欲しい。
かわいそうな子だと同情して!!
あざけられたり、蔑まれたりには、もう疲れた・・・。
叩いて叩いて凹ませて、それで彼らは無責任に「前向きに元気にがんばるべきだ」という・・・。
なぜ私はこんなに疲れているの。
なぜこんなに自尊心がペシャンコになってしまったの・・・。
同情でいい。せめて同情を。

取るに足らない娘だけど、いつもあがいて、自分でつかんできた細い道なんだ・・・。

よくよく思い出してみると、独身時代、仕事をしていて急に胸が苦しくなったり、
息苦しくなることがあった。
部屋の酸素が薄いせいかな?とか、気のせいかな?と思ってきたんだけど、
いま思えば、精神的な不調が身体に出始めていたんだね。

結婚して泣いたりわめいたりするようになって、
「崩れ」はするけれど、胸が苦しい日は減った気がする。

先週はまた不安が爆発して泣いてしまった。
いつも隣にいるダンナさん、知り合って十年にもなるし、いまさら珍しい顔でもないのに、隣の横顔を見ながらときどきものすごくヘンな気持ちになることがある。

私は・・・本当にこの人と結婚していて、これからこの人の元にずーーっといるんだ・・・と思うと、ものすごく不思議な気持ちになる。

柔和な彼の顔を、知らない人を見るような気持ちで見上げて、でもそんなことを本人には言えないので、黙って不安に耐えている。

まさか彼と付き合うことになると思わなかったし、まさかまさか結婚するとも思わなかった。
誘われて遊びに行くようになって、
「彼氏」とか「恋愛」とか、そういうコトバをちらつかされて、でも部活内恋愛だったので、私はイヤだった。

「いまは誰とも付き合う気持ちはありません」

別に彼に対してじゃなくて、会話の流れでそう言った。
その途端、彼の顔が冷徹にくもり、三白眼を冷たく光らせて彼はせせら笑った。

「ふん。誰が付き合ってくれなんて言った?」

・・・部内での彼は、面倒見が良くて頭が良く、あたたかいと評判だった。
ところが、デート?を重ねるたびに、彼の内側にたゆたう黒い霧が見えてくる。
怖い!と思った。
私は彼が怖い。

正式に付き合ってくれと言われたのは、「誰が付き合ってくれなんて言った?」事件から、二年が経ったころだった。
私は返事をしなかった。
返事をしないまま一ヶ月以上が過ぎた。
あの事件以来・・・私は彼が嫌いだったはず。
仕事先に毎週押しかけてきた彼は言った。

「嫌いでもいいから!僕のこと嫌いでいいから付き合って!そのうち好きになってくれればいいから」

仕事でボロボロだった私は、弱って救いが欲しかった。
なんでもいいからすがりつきたかった。
なしくずしに付き合った。

彼の「冷酷さ」は、それからも時折あらわれた。
私は彼に対してどんどん冷淡になり、付き合ってるのか付き合ってないのかわからない時期もあった。

「子供なんて嫌いだから」
「結婚したからって、女にぶら下がられるのはゴメンだ」
「オレが稼いだ金はオレの金」
「死んでも嫁子供に財産は一銭も残したくない」

愛か恋かはわからないけど、情はそのうちわいてくる。
頭の回転が速く、多趣味で物知りな彼を、私は好きになっていた・・・かもしれない。わからない。
でも、そうやって彼にクギを刺されることで、私は漠然と、

あー、この人と結婚は無いんだろうな。
もしあるとしたら、私が念願かなえて著述業で収入を得るか、公務員にでもなって、
彼に絶対に迷惑をかけない「自立した女」になった時だろうなと思った。

イナカのソコソコの家の人だし、そのうち見合いでもして結婚するのかもしれない、と思った。
どちらにせよ、私が彼と結婚することはないはずだった。

私の25歳の誕生日に、珍しく緊張した面持ちの彼に、
「あのね・・・きみももう25で焦ったりするだろうし・・・言うよ・・・け、結婚・・・を考えているから・・・」
と言われて、死ぬほどびっくりした。

なんで私!?

収入いまいち、美人でもない、彼をほったらかして、冷淡にあしらってばかりの私なのに・・・。
私は相手にしなかった。
彼の性格からすると、「ほんとにぃ!」なんて目をキラキラさせた瞬間、「ばーか!おまえなんかと結婚するわけねーだろ」とか「金もないくせに嫁にいけるのかよ」とか言うに決まっていると思った。
いつもそうやって、私に純粋でいることを先回りして禁じる彼だ。
本当に本当に私の人生が行き詰まり、しぶしぶ結婚を決めたときは、28歳になっていた。
結婚が決まってからも、彼の本質的な冷たさは変わらなかった。

私は家で毎日泣いていた。

その彼も、結婚してから発狂した私に手を焼き、いまではすっかり優しくなった。
だけど今でも、私はやっぱり彼が怖いのだ。
黒い霧を抱えた彼の心が。
私を包んでくれるこの「やさしさ」は偽物か、あるいはゲージのように使い果たすと、押さえつけられていた黒い霧が吹き出してくるのかもしれない。

家事いまいち、子供うまない、美人でもない、収入しょぼしょぼ。
そのうえ、情緒不安定の問題あり。

彼は私に、何を期待しているんだろう。
私は期待にこたえられているのだろうか。
ある日とつぜん、彼が私に興味を失って、ポイ捨てにされるかもしれない。
望むインセンティブを得られなければ、いないも同然に扱い、追い出すことで「デキの悪い娘」の存在を抹殺しようとした、私の両親みたいに・・・いつか私を、捨てるかもしれない。

「どうしてそんなにやさしいの!?」
「昔、冷たかったじゃん!」
「もっと意地悪な人じゃん!」

めそめそしながら訴えたら、彼は困っていた。
「過去はどうでもいいじゃん。いまは優しいんだし」
そう言われても、私は怖い。どうしようもなく怖い。
彼の中の黒い霧・・・「ハイドさん」と名づけた彼の中の冷酷な人格が。
今週はまた少しおかしい。
調子が悪い。どこが・・・とうまく言えないけど、精神的に崩れているのがわかる。
職場で会話をしていても、どこか上滑っている。
自分のテンションや会話するための理性を、コントロールできない。
いろいろなものが、自分の手から滑り落ちていくカンジ。

そんな時にゲラが届いたものの、自分の文章に対する嫌悪感がひどく、一読するなり気持ちがガタ崩れになった。
その日は校正作業はムリ。
翌日はまた例によって、
「私は頭がおかしいのだ。ヘンな文章を書いてしまった」
という自己嫌悪で胸がいっぱい。二度と文章など書きたくないし、本も読まないと何千回目かの誓いを立てる。

校正にも締切があるので、しぶしぶ取り出して再読。
・・・思ったよりは、マシ。
しかし細かい助詞の使い方が気になってイライラ。
「この助詞、違うんじゃないの!?」
とカリカリするが、他に適切なものを見つけられず、仕方なくそのまま通す。

次回の原稿用紙に「降りてくる」のであろう文章の断片が、既に頭の中をぐるぐるして離れない。
書いてしまうまで、ずっとまとわりつくのだろう。
自転車をこいでも、仕事でパソコンに向かっていても、頭の中に様々なセンテンスやキイワードが浮かんでは消える。
気持ちの悪い感触だ。

ダメだ。崩れていく。
誘発的に、過去のイヤな思い出ばかりが引き出される。
感情の波に襲われる。

今日も早く寝たほうがいいね。
「才能なんかないのに!」と理性が叫ぶ。それを聞くたび、胸がいっそうズキズキ痛む。
12月から弁当作りをはじめた。とりあえず自分の分からはじめて、慣れてきたのでついにダンナさんの分も作るように。

仕事を定時で終わって、ちょっと買い物してから帰宅すると18時。
夕食の支度をして食べ終わって片付けて20時。
新聞を読んだりTVを見てゆったりしてから、翌日の弁当作りにとりかかる。
できあがると22時近くになっている。

家事をどうしても好きになれない。
まったく面白いと思わない。
でも、圧倒的に収入が少ない「たかが派遣OL」なんだから、家事ぐらいしないと申し訳ない。
マンションのローンはダンナ様が払っているんだから。

ダンナ様は言う。
「女は子供産めばいーんだよ」
子供さえ産めば、収入が少なかろうが、若い頃ヤンチャしていようが、すべてチャラだという意味。

子供を産む勇気が出るまで、じゃあ私は何をしたら「お役に立つ」んだろう・・・。
料理は母に似てヘタ、片付けもヘタ。稼いでくるわけでもない・・・。
せめて料理は努力してレパートリーを増やす勉強をし、弁当作りもする。

でも、ダンナさんは私より料理上手。家事全般、何をやらせても私より上手い。
じゃあ、私は・・・?
何をしたら喜んでもらえるの?
どうしたら「嫁にもらってよかった」って思ってもらえるの?

ダンナ様は言う。
「女は子供産めばいーんだよ」

子供を産まない限り、私は役に立たない居候。
家事はただの主婦ごっこなのかな・・・。

おせち料理を作ろうが、凝った料理をがんばってみようが、ダンナ様は「カレーが一番好き。正月もカレーでいい」としか言わない。
おせち料理も弁当作りも、自己満足の主婦ごっこ。

もう両親とは関わるべきではない・・・。
ダンナさんもハッキリそう言った。

「期待しては傷ついて、そのくり返しだろ?それでも君はどこか、実家に期待している。DV夫にすがる女と一緒だよ。『実はやさしいところも・・・』なんて考えて実家に惹かれる。そして傷つけられるたびに発狂して・・・。もうあきらめたほうがいい」

じゃあ、どこに帰ればいいの?帰るところはないの?
とめそめそ泣き続けるわたしに、ダンナさんは言った。

「ここが家でいいじゃん。それじゃダメなの?」

結婚前、けっこう冷たい人だった。そのダンナさんが、結婚したとたん、なんでこんなに優しいんだろう・・・。
実家を断ち切ること。ひとつの課題。

職場や友人関係の既婚者の女性たちは、みんな
「やっぱり実家だよね!」
と言う。実家に嬉々として帰る。
周囲のサポートと愛情に後押しされて、喜んで子供を産み、祝福されている。

私の両親はたぶん、子供が生まれても手助けどころか、見にも来ないだろう。
なぜなんだろうね。

新聞や小説には、「子供を愛さない親はいない」とたくさん書いてあるし、
友人たちは口をそろえて、「最終的に助けてくれるのは実の親。親ってありがたいよー。感謝しなきゃ!」
などと言う。

私の親は、結婚してから私の新居を見に来たことはないし、見に来る話もないし、
「たまには帰ってきたら」なんかないし、たまに用事があって電話してきても、
一方的に自分のことをまくしたてて終わりだし、手紙が届けば「自分がどんなに思いやりがある、いい親か」
という陶酔をちりばめた演出にあふれている。

飢えはしなかったし、大学まで出してもらったのは、感謝すべきことなのだろう。
でも、欲しくもない、関心もない娘をどうして産んだのか、両親への疑問は消えない。
世間には言えないね。「親に感謝しなきゃ!」って言われるね。



 

私は何を書いていくべきなのか。
本当に書く資格や能力があるのか。

永遠にわからない。

能無しだと誰か早めに罵ってくれ。
自分をあきらめられない。
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